JyJy_douraku’s blog

語学や趣味など年金ジイさんの道楽ブログ!

ウルムチの状況を北京経由で得る

 やっと、北京のウイグル族との連絡が取れる。久しぶり、そう・・・三ヶ月ぶりの中国語での電話のやりとりが出来た。いまだにウルムチではインターネットの接続が、ウイグル族はまったく出来ない状態のようで、国際電話も接続不可能の状態が続いている。彼の中国語による話によると、ウルムチウイグル族の置かれている環境は緊張がつづいて、仕事にも影響があるようだ。家族の中にはとりあえずウルムチから北京に来て対処し、今後経過を見定めるような状態とのこと。日本にいると中国語を話すことはほとんどない。言葉は使わないとどんどん発するスピードが遅くなる。外国語でも母国語と同じように、中国語で聞いたら中国語のまま感じて理解する。日本語の文章として訳す必要はない。話す時も中国語で感じたことを中国語で話す。日本語文章で話しを思い浮かべることはしない。だから中国語と日本語間で訳すことは必要ない。
 先日、北京から買ってきたDVD「我和爸爸(父と私)」を家内と一緒に観ようと思った。北京で10元(約150円)で買ったのなので日本語の字幕は当然無い。鑑賞後感の良い映画なのだが、家内は中国語を聞いても、中文字幕を読んでも理解できない。「まあ、所々でも同時に通訳をやって上げれば良いか!」と思った。ところがストーリーが進むのに合わせての通訳ができないのに気が付いた。訳そうとしても、中国語ですでに理解している事を、更に日本語に訳す動作が加わるので、まったく追いつかない。なるほど、ふだんは自分では、中国語をわざわざ日本語に訳す行為をしてなかったのだ。実は上記したように、脳みその中では、更に訳し直す必要がなかったのに気が付いたのだ。自分ひとりの場合は何の支障もないのに。「そ〜か、な〜るほど。」変に納得。
 改めて、同時通訳者というのは、すご〜い特別の能力だなと感心した。更に別な言語に、理解した内容を訳し、一方で聞きつつ声として発っしなければならないんだから。それを刻々とやってのける。たいへんな技なんだと。
 結局、せりふの台本を手書きして、赤ペンで訳したせりふを書いて、それを眺めながらDVDを観てもらうことにした。「きっと将来、ロシア語のときにもそうなるんだろうか?」「そうなりたいものだ。」と思った。